原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 二性性相 相対思考

森羅万象の存在様相が、表裏、内外、前後、左右、高低、強弱、抑揚、長短、広狭、東西、南北などのように、すべて相対的であるのも、あらゆる被造物が二性性相の相対的関係によって、お互いに存在できるように創造されているからである。

 

本質本体である神におかれても、現象実体である、被造世界のあらゆる存在物においても、性相と形状や、陽性と陰性の二性性相の相対的関係をもって、内においても、外においても存在している。

そこで、存在様相の相対性が、それらを対象として考察する、思考形式にも、同様の相対性が表れざるを得ず、考えるという行為の基本的枠組みとなっている。

そこで、相対思考というのは時空間における、物質世界の現象と、思考内世界の現象との理解の為に、相対的な二極でありながら、互いに存在するために相補うような関係性を表す、概念のやりとりをすることによって、思考の視点を移動することによって、ある種の判断の収穫を得ようとする行為である。

素朴には物事の両面を見よということである。、上を見たら下を見、下を見たら上を見る。前を見たら後ろを見、後ろを見たら前を見る。右を見たら左を見る。左を見たら右を見る。

また、厳密には、性形や陽陰の二性性相の相対的関係を示す代表的な双極相補の概念に特に注目して、それを主軸にして事象の考察をしようという意匠である。

 

この両者(性相と形状)はお互いに、内的なものと外的なもの、原因的なものと結果的なもの、主体的なものと対象的なもの、重的なものと横的なものとの相対的関係をもつようになるのである。

 

性相と形状:内外、原因と結果、主体と対象、縦と横

 

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1/27)

 

本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本陰性の属性である。

 

そこで同様に、

陽性と陰性:内外、原因と結果、主体と対象、縦と横

 

これらの双概念を双極相補の基本として、さらに私見で、思考に有効かつ重要と思われる、その他の双概念を、原理講論に鑑み、ざっと10ぐらいは思い起こすことができる。これの有効活用を目指すものである。

二項対立とは言わないのは、対立と闘争の弁証法のイメージが払拭できないからであり、相対と奉仕の授受法の実態に近いと思われる双極相補をとりあえず思いついたからである。

相対思考の最初の対概念は勿論、性相と形状が挙げられるので、性相と形状の相対思考となろう。

物事を心の部分と体の部分の両面から考察すると言うことである。

統一信徒であれば、物事を考える際に、この部分が性相でこの部分が形状だと比較しながら進めていくかと思うが、ほとんど無意識に近い状態で活用されていることが、日常しばしば起こってくる。

ところで、私が学生時代に世界史の授業中に、クラスメートが素朴な疑問ではあるが、なかなか面白い質問を教師に投げかけたことがあった。文化と文明は何処が違うのか?といったことであった。分かっているようでわからないのが、なるほどこの言葉であった。若い教師は一生懸命説明したが、立派なことに自分自身の理解も不十分と考え、次回の授業までに、もう少し分かりやすく詳しい説明をすることを約束して、授業を続けたのである。

今日我々は、人間が作った歴史は、人間が心と体でできているように、性相的歴史と形状的な歴史に分類され得るとし、人類の遺産にも、人間の心に当たる、性相的な文化と、人間の体に当たる形状的文明がある。というようにごく自然に受け取れるのである。

最近、観光客を誘致するための手段として、世界遺産の登録が、全国的注目を集めているようである。

長崎県ではキリスト教関連遺産の世界遺産登録を目指している。その推進対象は文明的側面が主流になっている。単に一般旅行者を引き込もうというわけだからであろう。

しかし、文化的側面を主流に据えるならば、一般の旅行者受けする世界遺産はもとより、キリスト教圏、特にカトリックの国々の信徒の、世界的巡礼の地を目指すべきだと、私は考えている。日本で言えばお遍路である。

イエス様はあなた方は神の宮であると語ったのである。キリストの精神を宿した殉教者こそ、世界遺産であり人間世界宝なのである。

長崎には三つの注目すべきモチーフがある。

一つには、二十六聖人を初めとする殉教者や被迫害者である。

二つには、天正遣欧少年使節である。

三つには、天草四郎時貞島原の乱である。

当時の海外宣教を命じられた宣教師は、ヨーロッパの信仰と知性の最高水準の人物であった。ところが彼らはローマに対して日本人の信仰を驚愕の念をもって絶賛している。

日本史では中国に使わした遣隋使遣唐使が有名であるが、それに習った名称の遣欧使と表現されることがないのは、天皇からの勅使ではないからなのであろうか?

そうではなくとも、ヨーロッパ宗教界の最高峰であるローマ法王に謁見したり、各国の国王に謁見していることを考えれば、東洋の中で起こった重要事件である先の二件にはない、東洋と西洋の文明の出会いであることは、もっと評価されて然るべきである。

島原の乱の本質が百姓一揆であったという意見が広く行き渡っているようであるが、吟味する余地があると思われる。

これらの件はまた機会があれば、語りたいと思う。