原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

総序 似て非なるものと、似ずに同一なるもの

資本主義の財欲の嵐が全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らした時、貧困に喘ぐ庶民の声に応えて、神の愛の理想をキリスト教社会が実践できなかった事が、このように無慈悲な世界に神がいるはずがあろうかという唯物思想を誕生させる温床となった。

神が人間を創造したのではなく、反対に人間が頭の中で神を創造したのだという転倒した論法であった。神が理想と目的を持って創造したのではなく、物質が偶然に無目的に世界を展開してきたというのである。

神が存在しないのなら神に頼ることなく人間の手によって理想世界を築こうではないかと彼らは考えた。しかし、イエス様が身をもって生きられた、愛と信頼と許しによる天国への道と違って、彼らの運動の動機は嫉妬と猜疑心と復讐に満ちていた。どんなに理屈を重ねようとも、その論理の主調低音が根本的に違っていたのである。

共産主義が追求する所有が共有されている社会や平等な社会というのは、原始キリスト教にも似たような理想が追求され実践されてきた。現象的には似たところがあるが本質的には全く両者は違ったものとなっている。

そこで、我々は似て非なるものという観点を日頃から用意したいものである。

もっとわかりやすい例で言えば、イルカと魚は見かけは同じ魚に見えるが、イルカは魚ではなく動物のほ乳類である。これを日常生活の課題・問題でも頭のどこかに意識して観察する事は有効であろう。

さて、似ずに同一なものとはどういうことだろうか?

飛行船と潜水艦は均衡比重という共通原理で空中や水中に止まることができている。

東京ドームには、風船に空気を吹き込むと膨らみ、内外圧力差に応じてどんどん大きくなる性質を応用して、気膜構造の屋根が創られている。この屋根は外側に0.8mm、内側に0.35mmのシート2枚を使って吸音・融雪・断熱効果を高めている。屋根に雪が積もると2枚のシートの間に45度の温風が自動的に送り込まれて、融雪するという話である。

もう一つ身近な問題で考えてみよう。尖閣竹島北方領土などのニュースが頻繁に伝わり、北朝鮮のミサイル発射実験が領空を通過する今日であるが、国を外敵から守る防衛と我々の体の中でウイルスの侵入などに迎え撃つ免疫という機能や活動である。

私見では兵器アレルギーに喚き続けるよりも、自己生存の保持を目的とする免疫の考察と国家の安全を保持する国防の比較検証が、有益な現実的判断をもたらすのではないかと思う。