原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

総序 人間の矛盾性と創造・堕落・復帰思考

 統一原理では欲望それ自体は悪いものではないと考える。むしろ幸福を求めるためには欲望は不可欠である。自己の欲望が満たされるとき人間は幸福を感じるからである。ところが我々が住む生活環境がややもすれば善よりは悪に傾きやすいので問題を起こすことがあると考える。しかしどんな人間も道を外れる行いをすれば良心の呵責を得て、軌道修正をするきっかけを持つことになる。一個人の中に善を指向する本心の働きと、悪を指向する邪心の働きが熾烈な闘争をしていることを誰もが知っている。これを人間の矛盾性だと訴えている。

 

存在するものは如何なるものであっても、それ自体の中に矛盾性を内包したままでは破壊されざるを得ないばかりか、存在さえできないのに、この矛盾性を抱えた人間は一体どういう状態かと聞かれれば、破滅状態にあるとしか言いようがない。

 

学生時代に性善説性悪説というのを漢文などで習ったことがあるかと思うが、統一原理は性善説をとり神の創造本性を持つべきはずの人間が、ある契機によって偶発的に堕落しまい、後天的にあたかも偽りの堕落性本性に変質して人間を支配するに至ってしまったと考える。もとから本性として善や悪が備わっていたとするというよりは、善なるものとして完成されることを神に予定され願われていた人間が、自己の責任に置いて成長し不動の完成実体となることが摂理であった。しかしそれが達成できずに終わってしまった。そこで先天的には性善説に同意するが、後天的には性悪説の主張の様相を帯びるようになり、この破滅状態のことをキリスト教では堕落と呼んでいる。これを神の摂理から見ると創造→堕落→復帰という道筋になる。勿論堕落は神のご計画ではないが

一旦そのような状態になった以後も神は創造の責任を自ら背負って、神の似姿に人間を導くべく全力を尽くされておられるということである。したがってわれわれが個人や家庭や社会・歴史の諸様相を考察する場合の基本は創造・堕落・復帰の三つの観点の総合や展開に注意しなければならないのは言うまでもないのである。

 

それにしても一見ニワトリと卵の如きに見える人間の本性は性善説性悪説かの問題にたいして、全く別の観点からすっきりと整理してみせる統一原理というのは、これ一つを見てもただならない思想であることは確かである。