原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

16万訪韓女性修練会でお父様が最初に強調された話は、女は空っぽ、韓鶴子オモニも独生子を敬わなくなれば空っぽです

16万の女性たちに原理講論にも書いていないような、また責任者たちにも話したこともないような重要な御言葉をお父様は語られました。

それは、すべての女性が本物の男性を絶対主体として侍り、

絶対対象として生活して、天の秩序を守ることによって、

天運を受けることができるようになさるためでした。

のっけからお父様は「女は空っぽである」という話をされ、

空っぽの籠に何を入れるかが問題だといいます。

だから善悪知るの木だと。

空っぽとは神の種、血統を持っていないということです。

そこで、女は完全な男にただ従えばよいのだといいます。

エバが主管性転倒して天の秩序を崩壊せしめたのが堕落でした。

女性が上位になってはならないというのです。

 

神の愛も神の種も持たない空っぽの独生女が、

空っぽの祝福をして繁殖するという祝福家庭が、

どれほど偽物であることか!

 

滅びよ!

 

 

 先生には蕩減しか分かりません。生涯懸けて蕩減を主に考えてきたのですから、蕩減の峠を越えないと復帰はできません。だから統一教会の理念の最高の基準には、ただ安らかな生き方では到達することが絶対できません。ですから、蕩減というものを尊重せざるを得ません。蕩減を通さないと絶対に行けない目標だから、蕩減を重要視せざるを得ないのです。

 

オモニは真の母になるための最後の蕩減の峠である3%を完了できませんでした。

 

愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません。分かりましたか?

 

男と女では堕落時の淫行関係の内容が違うので、男はサタンの子女になりましたが、女はサタンの妻になりました。

 

先生は女が大好きですか、大嫌いですか? どっちです? (大好きです)。(笑い)大嫌いです! 女がいかなるものかよく知っているし、誰よりもよく知っているのが先生です。歴史を通して、大変よく知っているのです。女は、かわいそうです。歴史以来、今日まで、女の世界には代表がいなかったのです。陰とか暗闇とかの真っただ中で、行く方向も知らないで、男たちにいじめられ、迫害されながら今まで生き残ってきたのも偉いことです。それを、世界的に初めてお母様を前にして、「女性解放を宣布いたします」と。それは誰がしましたか? お母様がしましたか、先生がしましたか? 誰がしましたか? 発表はお母様がしたのだけれど、その内容は、先生がしたのです。

 男は女が大好きですか、大嫌いですか? 普通の男たちは大好きかもしれないけれど、先生は女が大嫌いです。皆さんは、その大嫌いな女たちです。

 

韓鶴子オモニはお父様から教育されたことがないとうそぶきました。

 

 女というのは名ばかりであるという話です。名前しかないのです。日本語で、女というのは名ばかりで、中身が一つもないという話です。先生の名刺であっても、名刺は本人と違うのです。何万枚をまいても、自分とは関係ありません。町の人が踏んだり、破ったりしても、気持ち悪くすることができません。分かりましたか? 名ばかりの存在という者は、かわいそうな人です。話にもならないし、目標がないし、相対がないし、環境も許容しないのです。そういうような者が、名ばかりの人です。

 だから死ぬ時には、名が死ぬのですか、人が死ぬのですか? 名前は残っているのですが、本人はちゃんと墓場に入っていくのです。それはあってもなくてもいいという話です。動物なんかみんな、名前がなくても生きているのです。人間は、必要があって、所有権の分割のためにつけたのが名前であって、名前がなくてもいいのです。

 そう考えて見た場合に、「女は名ばかりの者だ」という話を聞いて、教祖様から教わる第一番目の話が、「女は名ばかりで、何も持っていない」ということを聞いて、気持ちが良いですか、悪いですか? 率直に答えてください。気持ちが悪かった場合には、反論することができるのです。あとで「あの時、率直に言うべきだった」と、そんなことを言っては駄目です。率直に言ってください。気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。

 女は名ばかりです。本当に、女は何も持っていません。本当です! 気持ち悪い顔をしなさい、おばあさんたち! 帝政時代の教育を受けたおばあさんたちは、「そんな馬鹿なことはありません」。そう言うはずなのです。最近の女の子たちは、フリーセックスなどで無価値な者になってしまいましたが、昔は名門の家のお嬢さんには、みんなが尊敬していたものです。

 

16万訪韓女性修練会で初めにお父様が語る話が、

「女は名ばかりで、何も持っていない」

という話でした。

お父様は家庭連合に残る女性たちに責任を果たしました。

空っぽの独生女に従うべきなのか?

それとも神の愛と神の種をもって来られた

独生子に従うべきなのか?

明確に既に教えてこられました。

 

聞いていなかった、お母様を支えたかった、

お母様とお父様は一体だと思っていた。

そんな話は霊界で通じるというのでしょうか?

絶対に通じません。

 

 先生の前に、女が主体に一度なってみたいとは思いませんか? たくさんの女が先生の前でぺちゃんこになって気持ち悪くないのですか? (悪くないです)。何を言っているのですか! 先生の前にお世辞を言っても通じません。先生自体も気持ちが良くないのです。だから女はかわいそうに思います。先生が神様だったら、一瞬に切り返したらいいと思うのです。そういう考えを持っている先生は、悪い人ではないと思ってもいいのです。

 一度、主体になってみたい思いがしますか、しませんか? しないと言う者は、みんな嘘つきです。なぜ男が主体かと考えたことがありますか? なぜ男が主体ですか、君たちはなぜ客体ですか? そんなことを考えたことないのですか? たくさんの女たち! 男が主体になる資格は、子供の種を持っているからです。神様と同じようにです。だから主体というのです。そういうような創造原則、原理においての結論を出して、堂々とその主体を認識してやるのが、自分自身の高まる基台になるのです。客体なくしては、主体もなくなってしまうのです。分かりましたか? (はい)。

 女は何も持っていません、女は名ばかりです。神様から見た場合に、創造の世界で一番最後につくったのは、男だったのですか? (女です)。そんな表情で言っては良くありません。復讐の感情が詰まっています。(笑い)

 それでも良いです。ですから、女は籠でしかありません。空箱です。気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。そういう即断をしてはなりません。先生は、女が空き箱ということを知って、「いやー、私は空き箱になったら良かった」と、いまだ何回も考えるのです。女と男を変えることができるとしたら、すぐにも変えてしまいたいのです。そのことが何か分かりますか? ちょっと話を聞けば分かるようになりますが、話をしましょうか、やめましょうか? 関心がありますか? きょうの時間は、その話でいっぱいになり、「真の自分を探しましょう」という話ができなくなりますが、そうでも良いですか? 本当ですか。

 

韓鶴子オモニは、一度主体になってみたいという思いを、お父様の聖和とともに実行しました。

 

 そうすると、女の顔は、女のために美しい顔になりましたか、男のために美しい顔になりましたか? 先生には分かりません。答えてください。(男です)。女の顔は女のものではなく、男のものであるという結論になりました。男のためにそういう顔になったのです。自分のものではないのです。自分が欲しいような顔ではないのです。自分の欲しい顔は男です。反対になっているのです。

 それを今まで考えたことのない女は馬鹿です。どうにかなっているのです。だから、みんな自分を分からないままに死んでいったのです。今からは、一つ、一つ知っていくことによって、自分を探すことによって、元の自分が何なのかということが分かるようになっていくのです。それで、きょうの話の題目が、「真の自分を探しましょう」です。女として、完全に自分で忘れてしまったものを、一つ一つ探し出して、それで、「あー私は女だ。こういうものが女であり、名ばかりのものではない」ということが分かるのです。ですから首から上も自分のものがないのです。それは、誰のものですか? (男です)。気持ちが悪くないですか、気持ちが良いですか? そうなると、男の前に主張する何物もなくなってしまうのです。

 

堕落はエバが、アダムとエバの主体と対象の秩序を転倒させて逆主管したことから始まりました。

空っぽだったエバはその胎にサタンの種を満たして、アダムと関係を迫りアダムを犯しました。

 

そうした場合に、女においては自分のものがないのです。だから名前ばかりというのは、失礼ですか、失礼ではないですか? (失礼ではありません)。それでは、「ありがとう」と言いなさい。(ありがとうございます)。はい、ありがとうございました。よい教訓になりました。本当です。そうすれば、女がかわいそうではありません。素晴らしいのです。空いた籠は大きいのです。あなたたちの良心は大きいのです。女の心は男に負けないくらい大きいのです。心は大きいのですが、その大きな空き箱に何を入れますか? (愛です)。愛を見たことがありますか、見たことがありますか? 愛に触ったことがありますか? (ないです)。では、分からないではないですか? 見たこともないし、触ったこともないものを入れようとしても、どうするのか? その方法、手段が分からないのです。どういうふうに分かりますか? (感じです)。感じが人間の幸福の元になりますか、愛自体が幸福の元になりますか? それは愛です。

 

くどいほどお父様は女は自分のものがないと言い切ります。

誰のために言っているのですか?

まるでこの日のために気をつけろと諭しているかのようです。

 

さあ、最後の仕上げです。気持ちが良いですか、悪いですか? (良いです)。こんなに欲張りの空き箱ですが、空き箱は入れるものの価値によって左右されるのです。入れるものと同じ価値を持ちます。宝がたくさん積んであった時、「宝を持って来い」と言うのですか、「籠を持って来い」と言うのですか? どちらですか? 「宝を持って来い」と言うのではなく、「あの籠を持って来い」と言うのです。入れるものと同等な価値を持つようになるのです。

 それで、聖書にはエバを象徴して、善悪を知る木というのです。善悪を知る木とは、女です。そして、木の実とは女のそれをいうのです。なぜ善悪を知る木というかというと、女は、善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなるのです。

 もし王子様と一つになった場合には、王宮を相続することも可能なのです。そして、王子を生むこともできます。反対に、悪辣なやくざの親父と結んだ場合には、悪魔世界の王子を生むようになるのです。善悪を知る木の実、それは善悪を知る女の体をいうのです。善にもなるし、悪にもなることを象徴しているのです。だから神様は堕落しないように、善につながるように、戒めているのです。「悪になったら大変だから、それを取って食べるな! 勝手にするな! 神様が命令するまで待て!」と。それは神様のものであって、自分たちのものではないのです。女は、それを自分のものだと思ったら大変なことです。それは男のものであり、男のうちでも王様の男、神様のものです! ですから、その女の実が何を願うかというと、最高の男まで、神様までも願うのです。だから女には、神様をすべて入れても休ませることのできる良心の袋があるのです。

 女の主人は男ですね? 女に聞いた場合は、主人のうちで一番の主人は誰かというと神様になるのです。女をつくった目的は、アダムのためにもつくったのだけど、一番の願いは神様のためにつくったというのです。なぜかというと、神様は相対が必要だからです。一人で住むのはかわいそうだというのです。先生でも、お母様がいなかった場合には「八十代のおじいさんは、かわいそうです」と言われるのです。相対がいなくなれば、すぐに除去されるのです。天運というものは、相対がいて保護するようになっているのであって、相対のないものは押し出すようになるのです。

 なぜ旦那さんが亡くなった場合に、女は、あんなに転がりながら泣き続けるのでしょうか? 誰が、何がそんなにさせるのでしょうか? 第三の力が加わって、押し出すような力で悲惨さを抱かせるのであって、自分の中にそういう力があるからそうするのではないのです。宇宙力、天運というものは、相対関係のあるものは保護するようになっているのだけれど、相対がないものは天運が押し出すようになっているのです。

 

韓鶴子オモニがお父様の偉業もお父様の権威も放り捨ててしまったので、

韓国には天運がなくなりました。

神主義ではなく、サタンの主体思想によって赤化統一されつつあります。

気が付かないのは、家庭連合の食口だけです。

この世の人も大変だと大騒ぎしているというのにです。

 

(女は)神様が最後につくった傑作品です。万物の霊長として、神の愛の相対としてつくられているのです。愛の相対が、自分より劣る者を願った女の子はいますか、どうですか? 自分の相対は、自分より悪い者を願うような女の子、男の子はいないのです。そうでしょう? 自分の愛の相対は、自分よりも何倍よいことを願うのですか、答えてください? 一・五倍ですか? (限りなくです)。よく答えました。欲望の大きな女の子です。愛の相対は何億倍も、何億倍の何億倍も、永遠に続く最大のものを願っているのです。宇宙の最高のものを願うのです。誰でも自分の一倍を願うのではありません、無限! 無限です! 女として、愛の旦那さんは立派な美男子であり、美男子のうちでも、ナンバー・ワンの美男子を願うのです。宇宙最高のものを願うのは、男も女も同じです。

 

神の花嫁として、最高傑作として訓練し創った傑作品であるべき韓鶴子オモニは、

真の母の位相を捨て去ってしまいました。

お父様を絶対主体として、聖霊の実体として侍る、

絶対対象であるべき真の母の称号を名実ともに捨て去ったというのです。 

 

その秘訣は何かというと、天運をつかさどりながら生活することです。天運は永遠に滅びないのです。天運と共に生きたとするならば、大きな天運は大きい所に、小さな天運は小さい所に、すべてのことに関係を持つようになるのです。この関係という言葉を世の中から抜いた場合には、みんなバラバラになるのです。この世の中であっても、父子関係、婦女関係、夫婦関係、兄弟関係、国家関係、家庭関係、外交関係、経済関係、政治関係、学問関係、みんな関係し合っているのです。関係という言葉は、相対圏を離れては成り立ちません。上下、前後、左右などと、価値比較の基準となるし、マイナスやプラス、高低などのようにレベルを決めることもできるのです。すべてが関係であり、それはみな、バランスを標準としているのです。ですから関係という言葉を抜いたら、絶対に世界は瓦解してしまいます。

 

主体と対象が円満な授受作用をするところに天運が来ます。

主体を追い出して、自分が主体になった堕落エバにどうして天運がくるというのでしょうか?

 

 ここで一言、言っておきますが、世界のすべての歴史の悲惨な大事件の八〇パーセントは、男、女の問題です。八〇パーセント以上が、男、女の絡み合いによって悪くなっていくのです。平和の世界も、男、女問題を解決すれば、平和世界が八〇パーセント達成されるという結論になるのです。

 

真の母は学歴がなかろうが、御言葉を深く知ることがなかろうが、

そんなことは本質的なことではありません。

エバができなかったアダムを主体として立てて、

絶対信仰と絶対愛と絶対服従で一体化することが、

本然の秩序を取り戻す栄光の道でした。

 

 人間において、一番貴いものは何ですか?(愛です)。愛はどこに住みますか? 男の愛と女の愛は、どこで一つになりますか? どこですか?(生殖器です)。生殖器を合わせたところです。女の生殖器には愛はないのです。自分自身には感じないのです。あなたは愛を持ってるのですね? それは、父母の愛、父母の生命、父母の血統をみんな相続しているのです。それを持っていても、自分なりに一つになっているので感じないのです。これは、近くなったら見えますか? 答えてください。見えますか、見えませんか? (見えません)。

 

堕落がなかったらどうしてお父様が愛の蕩減の道を行く必要が有ることでしょう?

「先生には蕩減しか分かりません。生涯懸けて蕩減を主に考えてきたのですから、蕩減の峠を越えないと復帰はできません。」

 

 良心は自分において第二の神様です。先生に続いて声を出してください。良心は(良心は)、自分において(自分において)、第二の神様です。(第二の神様です)。自分を中心としては(自分を中心としては)、絶対なる神様です!(絶対なる神様です!)。そのように定義するのです。

 第二の神様は、第一の神様の相対位置に立つのです。相対を中心としての主体・客体の関係は、男が中心に立ったら、女はその男の命令に従えばよく、神様に聞く必要はないというのです。分かりますか? 相対は、主体と一体であれば、それで万事「オーケー」です。分かりましたか? 着物と同じです。立派な着物も、その人が着ることによって、いくらでも御殿の王様の前にも出られるのです。立派な着物が出られるのではないのです。その人が着た着物だから、みんなが歓迎するようになっているのです。そのような相対関係をいうのです。分かりましたか?(はい)。

 相対関係において、神様を中心として良心は第二の神様です。それがなければ、神様と人間が相対的な内容の関係を持つ因縁がないのです。分かりますか? 良心は神様と人間が通じるようになっているのです。良心は第一の神様に対して相対的立場に立つのだから、第二の神様の立場に立つのです。しかし良心を、男、女と見た場合には、男の良心は神と一体になっており、その一体になった主体と客体は横的関係だから、これが一つになった場合には、幹と同じ、枝と同じで、相対基台が一つになったら、それで万事が「オーケー」です。

 国も、国会を中心として、行政府があるのですが、地方では県は県知事を中心として、相対的な県の法律に一体になった場合には、中央に報告しなくてもよいというのです。分かりましたか?(はい)。

 主体・客体関係の世界は、このような原則によってつながっているのです。どちらが上か下か、どこが中心か、相対かを決めることによって位置が決まるし、男、女の二人の問題が世界の八〇パーセント以上、悪辣な罪悪世界をつくったとすれば、男、女の問題をはっきりと解決することによって、平和世界が八〇パーセント無事達成できるというのです。ですから、男、女の処理問題は歴史的に重要なことです。

 

オモニの功績は誰にも通過することができない愛の十字架を超えてこられたことでした。

それをどうして今更後悔することがありましょうか?

お父様ははじめから私と結婚すべきだったと考える必要があるというのでしょうか?

 

ここにおいて、絶対なる相対が、女としても絶対なる女がいないのです。絶対なる相対が完全ならば、絶対なる主体が生まれてくるのです。完全なるマイナスがあった場合には、プラスは自動的に生まれてくるのです。分かりますか? 空中において、そうなるのです。プラス電気があった場合には、マイナスをなくさないように保護するのだから、必ず自然はマイナスをつくって同伴させて、主体・客体関係を保つことによって、天運が保護するようになっているのです。分かりましたか? (はい)。

 

天運が家庭連合から離れて行きました。

神の摂理がまったく見えなくなってしまいました。

 

 それをみんながはっきりと明らかに知らないと、女の立つ所も、男の立つ所もはっきりしません。分別されて立つ所がはっきりすることによって、秩序が整頓されていくのです。秩序が反対になった場合には、いくら多くの人々が良いとしても、みんなそれは放棄物になるのです。分かりましたか? みんな整頓して、正規の条件に合うようにしなければなりません。何でもって条件を分別するかというと、主体・客体関係によってです。

 

秩序が反対になった家庭連合に残っていれば、

「いくら多くの人々が良いとしても、みんなそれは放棄物になるのです。」

 

 なぜ旦那さんが死んだ場合には、女は気違いになるほどに、転び回りながら、「ウウー、ウウー、ウウー、ウウー」と大変なのですか? 生涯全部をひっくり返して、「私はどうなるのか!」と、悲惨な立場になるのです。なぜそんなに痛みを感じるのかというと、自分の旦那さんばかりが死ぬのではないのです。たくさんの男たちが死んでいるのに、なぜ自分だけの問題とするのですか? 自分と相対になった者が破れたならば、天運が「君は不合格品だから、この圏上にいることはできません」と押し出すからです。原理原則の全体圏に不合格品になったのだから、除外されるのです。嫌でも仕方がないのです。

 だから、そこで他の相対を求めて、結婚するとかしなさいというのです。そのような力によって、押し出す方向は悪いのですが、それは何か相対圏を保護するため、相対者を求めるように忠告することになるのです。分かりましたか? 先生は原理原則を話すのです。これに不合格になった場合には、宇宙力が押し出すのです。君たち、先生の話を聞かなかったならば、良心の呵責を受けるのです。なぜ、文先生の話が韓国に、アメリカに、とても遠い世界にいる人にまで、今まで見たこともない先生の話が、なぜ作用するのかというのです。

 日本の家庭にいても、先生を見たことがなくても、先生の命令を聞かなかったら、良心の痛みを感じますか、感じませんか?(感じます)。先生が主体だから、主体と客体が一つになれば宇宙力が保護するし、天運が保護するのに、一つになっていないので除外されるからです。押し出す力によって痛みを感じ、苦しみを感じるのです。そういう立場に立たないというと、滅びます。先生も同じです。神の原則から外れた場合には、良心が必ず命令するのです。「気持ちが悪いよ」と。先生は着物を着るにしても、きちんとしたものを着るのです。

 

家庭連合を支持する夫や妻や子供に未練があれば、

塩の柱になって固まってしまえというのです。

「 自分と相対になった者が破れたならば、天運が『君は不合格品だから、この圏上にいることはできません』と押し出すからです。原理原則の全体圏に不合格品になったのだから、除外されるのです。嫌でも仕方がないのです。

 だから、そこで他の相対を求めて、結婚するとかしなさいというのです。そのような力によって、押し出す方向は悪いのですが、それは何か相対圏を保護するため、相対者を求めるように忠告することになるのです。」

そう先生は教えて下さいました。

 

韓日家庭だった女性が子供を連れて日本の男性と再祝福を受けたと聞いた。

その男性は御言葉を学ぶのに熱心な方だから決めたと言う。

そのような女を神が祝福せずにいられるだろうか?

天運は彼女とともにあるだろう。

 

お父様ははじめの方に捨てられた。

牢獄の中であった。

韓鶴子オモニはお父様を牢獄に入れてしまった。

独生女オモニ教団を創設してしまった。

天照独生女!

 

女たるものは先生の側です。生まれる前から初めから。いくら弁明してもそうなるのです。ですから文先生に、「女は格別に注意せよ」と言うのです。分かりましたか?

 

格別に注意している女ならお父様が主管するサンクチュアリに来るだろう。

 

 だから、宇宙には和合作用と反発作用があるのです。反発作用が悪いのではないのです。分かりますか? 相対圏を保護するために、相対が破れるプラス・プラス、マイナス・マイナスの危険性があるから反発するのです。

 天運がそうするのです。天運、宇宙力ともいうのです。分かりましたか? その原則を先生が知ったために、今までの生涯の戦に勝利する秘訣となったのです。だから問題があった場合には、すぐ神の相対圏に入るのです。神の相対になった者に、反対するような者があった場合には、直ちに切ってしまうのです。自分がやるのではなく、宇宙力が、天運が除外するのです。

 先生は、そういう実験的な生涯を活用して、ここまで来ました。だから間違いないのです。分かりましたか? (はい)。それだから、君たちも相対を変えることはできません。相対を中心として一つになった場合には、天運が作用した効力に反する者になったので、天運が逆に切ってしまうのです。そういう者は地上からなくなってしまうのです。

 

韓鶴子のかっての偉大な功績も今は荒涼たる景色のように虚しく空っぽになってしまった。

 

 そういう意味において、お母様と結婚するようなことになったのです。分かりましたか? (はい)。それは、悪くないのです。仕方なくやったのです。なぜかというと、女を救ってあげるためにです。お母様を訓練して、立派な女につくりあげたのです。三十三年間のイエス様の恨みを解いたのです。今年がその三十三年目です。イエス様が三十三歳で死んだ、第二の先祖としての失敗を蕩減復帰して、国家的基準を越えなければならないのです。それで、世界的な出発をして、今や世界の四十か国を凌駕する戦いをしているのです。分かりましたか?

 

お父様がすべてをお膳立てして立派な母に育てたものを。

 

 そういう面では、先生よりも完璧な女になっているかもしれません。先生はよく訓練しましたか、訓練しませんでしたか? どうですか? 考えてみなさい。アメリカでも一回だけの講演かと思ったら、三回やることになり、さらにアメリカ五十州を分けて、二十二回(最終的に、お父様が十二回、お母様が四十四回)も回ったのです。それでおしまいだと思ったのに、次は「日本に行け!」と言われて、日本に行って、日本の講演を終えたと思ったら、「韓国に行け!」。韓国が終わったら、「世界の四十か国を回れ!」となるのです。

 

お父様は、よくお母様に対する願いを完了しているかのような表現で語られその日がやってくることを待っておられました。

 

 良心の長成(期)完成(級)基準まで、アダム・エバを殺してしまった権限をもって神様に反対するところにおいて、サタンの世界をひっくり返そうと、敵として、これを切ってしまっても、アダム・エバを殺されても、どうにも手を出すことのできなかったのが神様の立場です。分かりましたか? だから何とかして、長成(期)完成(級)基準を凌駕しなければならないのです。何でもってかというと、愛の力でです。それは決死的に対抗して、その基準を一瞬でも超えた立場に立たなければ、神様の干渉を受けることができないのです。神様の干渉を受けない所は、サタンの全権であり、いくらでも殺すことができるのです。

 ですからイエス様は言いました。「自分の弟子になるには、誰よりも、地上の世界において誰よりも、私を愛さなければならない。それは、お母さん、お父さん、自分の奥さん、旦那さん、舅、いずれにしても、私よりも愛した場合には、私の弟子にはなれない」と。そのようにサタン圏の基準を凌駕しなければなりません。分かりましたか? だから、聖書は逆説的な論法の内容で教えているのです。「死なんとする者は死に、生きんとする者は生きる」と言ったのですか、「死なんとする者は?」(生きる)。生きる! 統一教会の信者を死ぬような所に引き込むことが何ですか? (生きる)。生きるようにして「自由自在に、安らかにせよ」と言った場合には? (死ぬ!)。あなたはそれが好きですか? それは嫌でしょう。そうならなければなりません。逆説的な論法をいっているのです。

 イエス様の弟子の中で、「自分のお父さんが死んだので、葬式に行って、何日して帰ってきます」と言った時に、イエス様は、「死んだ者は、死んだ者に任せよ」と言われたのです。堕落した者は死んだ者です。地獄へ行く死んだ者です。それをはっきり知らなければなりません。この堕落圏を、いかなることがあっても抜け出なければならないのです。分かりましたか? (はい)。

 

自分には生活があります。

自分には支えるべき家族がいます。

そうですか?

潤国先生は兄の財産を国のために売り飛ばしました。

そしてとんでもない悪党という汚名を自ら受けてさまよいました。

 

先生に続けて言ってください。私は(私は)、堕落した女です。(堕落した女です)。エバと同じです。(エバと同じです)。それをはっきり知らなければなりません。これは嘘ではないのです。自分の血も、生命もみなサタン的なのです。ですから、今までの既成祝福のようであってはなりません。完全否定、無の境地を通過しなければなりません。それをしないで子供を持ってはなりません。それが公式になっているのです。誰にもどうにもできません。先生にもできません。

 

堕落エバだというのなら、本然のアダムに従えばよいというのです。

ましてや、偽物のエバに従えば滅びるだけです。

 

全世界の女はエバと見るし、全世界の男は天使長と見るのです。全世界の女の前に、真の完成のアダムは一人として、再臨の主と見るのです。女と再臨主は一つで、こちらは天使長です。天使長を再び接ぎ木して、先生が第二のアダムをつくりあげなければ、君たちの相対者はおりません。分かりましたか? 母の分身になって、お母様が姉さんだとすれば、君たちは妹です。先生から見た場合には、正妻と妾の立場です。

 

 復帰は、レアとラケルを中心として見た時、レアが正妻になるべきではないのです。ラケルが正妻になるべきなのに、レアがなぜ正妻になったのかというと、復帰路程において、堕落した女から復帰されたレアみたいな女がいなければならないからです。それがレアとレアの娘です。(一方)ラケルみたいな本当にヤコブの願った娘と子供とを一つにさせなければならないのです。そのことを全世界的に、ヤコブ家庭でできなかったのです。イエス家庭でもそっくり同じです。

 こういう関係を先生を中心として見れば、聖進様のお母様も獄中で離婚したのですが、聖進様がいる以上、ちょうどそれに引っかかるのです。聖進様のお母様は子供と一体となっているから、いくら年取ったとしても、いくら別れたとしても、聖進様の家に入って住むことができるのです。聖進様が切ってしまうことのできない場合には、いつもお母様を憎み、聖進様と共に反対するような立場に立ちやすいのです。これを凌駕していかないといけないのです。ちょうどそれと同じです。

 

自分が辛い事情にいるのなら、もっと辛い事情を背負って進まれるお父様に、

我は行くと何故行けないことがあるでしょうか?

何度歌ったというのでしょうか?

それはお父様に対して嘘を歌ったというのでしょうか?

 

 英米仏のキリスト教文化圏が、新婦圏がそうだったのです。旦那さんとして来られる再臨の主は、たった一人だというのです。聖書を見れば、そのような歴史があるのです。親もなければ親戚も何もないのです。たった一人で来るのです。持ってくる財産は何もないのです。たった一つの真の愛と、真の愛の子供の種だけしか持っていません。堕落した世界の女は、すべてを犠牲にしても、それが必要なのです。それを通過しなければ、子供も再び、女も再び生まれ変わる道がありません。

 真のお父さんの真の愛の子供の種と、真のお母さんです。二人を通過して再び生んでもらわなければなりません。神の国に真の子女として生まれて、生涯を終えて移動していくのが天国であって、真の父母と関係のない者は、愛の門を通過しない者は天国と関係ありません。だから再び生まれ変わらなければなりません。

 

神の愛も神の種もない祝福で、どうやって天国が創れましょうか?

 

 それで、正妻が妾みたいになるし、妾が正妻みたいになるのです。分かりますか? (はい)。妾みたいな者が正妻になるし、正妻のようであった者が妾になるのです。そういうことが天地開闢というのです。分かりましたか? こういうことをはっきり分かって、日本に帰ってどこでも堂々と言うのです。

 

あなたはメシアの、キリストの、再臨主の、

妾だということを信じているというのでしょうか?

妾は本妻より愛されてきた者ではないですか?

 

 


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